ロボット・・・そう、人間が長年見続けてきた、見果てぬ夢・・・
ロボットという擬人的自律思考・行動型機械はもうあらゆるところで見受けられる.たとえばアニメ・漫画・映画・テレビ・小説・ゲーム・・・この世に存在する、あらゆるメディアに登場する.かれらはしゃべることも、笑うことも、楽しむことも、泣くことも、また時には人間と同等のものを食べることもできる.まさに夢のような生物である.
しかし、実際はどうであろうか?人間は鳥に似せて飛行機を作った.ヴァーチャルペットとして動物の表情や行動をシミュレートした.時には鳥や猫を擬態してきた.いわば何かを参考にしてそれを真似るというすばらしい技術を持っている.ニュートンという一人の男はリンゴが木から落ちるのをみて、重力という概念を発見した.それから世界中の物理学者がニュートンの見いだした法則を参考にして新しい分野を発見していった.現在それは宇宙という絶対的な存在から量子という微少な分野まで発展している.つまり人間は真似と同時に類い希なる応用力を併せ持っている.真似と応用、この二つの能力によって現在の文明は発展したと言っても過言ではない.でもロボットは?
簡単に言えば「人間を真似る」ということである.人間もまたこの地球上の生物であるから地球上の物理法則が適用できるはずである.つまり人間の思考や行動をエミュレートしながら、人間の身体的能力(筋肉や神経)を機械によって実現する.これで事足りるはずである、本来なら・・・.
しかし、問題は「人間を真似る」ということである.「人間を真似る」と言うことは、「ロボットが人間らしく振る舞う」ことも含まれてしまう.その願望がアニメや漫画でみられるような擬人化に現れているのは言うまでもない.人間の特長は「感情」が「思考に影響を与える」ということと、「過去の経験」から同じ状況でも「違う行動」をする可能性があるということである.
例えば何らかの脳内プロセスで「A+B=C」という結果が得られても、「その場の感情」によっては「A+B=0」にも「A+B=1」にも、ときには「A+B=-C」にも「A+B=NaN(解なし)」にもなってしまう.それは人の親切を「ありがたい」と思ったり「大きなお世話」とおもったりするのと同じである.
また、過去に「A+B=C」で失敗したとすれば、絶対「A+B=C」にはならないようにしようとする.さらには「経験」でわかっていても「感情」によってはあえて失敗した「A+B=C」という結果を選んでしまうこともある.これはちょうど「前は飲酒運転で捕まったから酒は飲まない」「医者に止められているけど、ええぃ飲んでしまえ」というようなところだろうか.
はっきり言ってこんなプロセッサは存在しない.「A+B=C」という結果を得られたとしたら、いつでもどんなときでも「A+B」は「C」である.正確に言えば「A+B=C」という結果を要求され、異なった解を出すことは「error」となるのである.人間の脳を例えると、成長するプロセッサとでも言おうか.
「AI(Artificial Intelligence)」という概念がある.これは過去と同様な状況に対面したとき、過去のデータをフィードバック(過去との比較)し、より適切な選択を行うものである.人間は、過去の経験をフィードフォワード(状況を予測)し、しかもそのときの状況の違いをも吸収し、リアルタイムに適切な処理を行うことができる.「AI」では人間の脳の代価品とするには無理があることがわかる.実際「AI」搭載の思考ルーチンを持った将棋や麻雀をやったことのある方はわかると思うが、やはりどこか「コンピュータっぽさ」が残っているものである.
さらに機械的な部分についても問題がある.人間と同等の運動を行うには、筋肉と神経の代価品が必要である.一般的に考えて筋肉はモータなどのアクチュエータ、神経はセンサということになる.
現在は、回転と直動の二種類のアクチュエータを組み合わせることによってあらゆる機構を実現している.人間すなわちロボットを実現する場合は回転アクチュエータを使う.しかし人間と決定的に違うところは「筋肉は分布している」ということと「多自由度な関節がある」ということである.
腕を例に挙げると、筋肉は肩から肘、肘から手首にかけてと分布していることがわかる.そのためかなり細い(機械のアクチュエータと比較して)ながら大きな力を出すことができる.一方それを機械で実現しようとすると、肩・肘及び手首に一つずつ回転型アクチュエータを配置することになる.すなわち腕で生み出す力を3つのアクチュエータで生み出さなければならないということである.したがって高出力のモータを選ばなければならず、自然腕が巨大で高質量になってしまい.慣性や自重の問題がでてくるのである.
次に手を考えてみる.人間の手は数十の関節があり、それを筋肉によって動作させることでフレキシブルな動きを可能としている.そのため細かい仕事をこなすことができる.しかしロボットの場合たいていものを掴む程度のことしかできない.もし機械によってそれを実現しようとすれば、数十ある関節1つ1つにアクチュエータが必要で、しかもすべてが完全に同期をとって駆動する必要がある.もちろんそんなことは不可能で、誤差が必ず生じてしまう.
まとめれば、「筋肉ほどコンパクトで高性能なアクチュエータの開発が困難である」ということと、「多自由度の関節を制作し駆動させるのは困難である」ということである.
人間の神経についても同じことがいえる.神経は密度の差こそあれ、基本的に皮膚全体に分布している.また、五感という特別な神経も存在する.そして、皮膚の神経と五感からくる入力信号を有機的に融合し、時には記憶をも利用して目に映るものや触っているものの材質や性質・形状などあらゆるデータを得ることができる.たとえば「卵」を目で見たり触ったりすると、記憶から「白身と黄身」「食べられる」「重要なエネルギー源」「鶏」「殻がある」「殻は割れやすい」といったような単語が浮かんでくる.さらにその持ち方のデータまで浮かんでくるのである.そして指の神経を利用してその持ち方を実現するように筋肉に指令を与える.人間はこれらをほとんど無意識に行っているのである.もちろんセンサでこれを行うことはほとんど不可能である.皮膚全体に分布することは不可能であるし、皮膚で得られるデータをセンサで得ること自体不可能である.しかも五感の役割を果たすセンサなど存在しない.従って卵を持たせるようにすることすらかなりな困難がつきまとう.
脳と筋肉及び神経それぞれについて説明してきたわけだが、それ以上に困難なのが「それぞれの有機的な結合」であることは言うまでもない.人間の脳は、皮膚の神経・五感・過去の経験(記憶)といったあらゆるデータや信号をひとまとめに処理し、それを次の行動に反映するということを絶えず無意識に行っている.しかも五感や神経から入ってくる信号を無意識に取捨選択しているのである.ロボットではこの「無意識」が不可能である.たとえば「人間の声」と「周りの騒音」はセンサにとっては同等の入力で、それを識別するにはフィルタを通す必要がある.また、「とっさの判断」という点でも異なる.人間は「反射」という行動メカニズムがあるが、ロボットにはそれがない.あくまでもプロセッサの処理が必要なのである.
やはり脳は特別な存在なのであろう.人間に限ったものではなく、すべての脳を持った生物全体にいえることである.それを機械的なプロセッサで実現するのは不可能かもしれない.確かにヴァーチャルペットで「それらしい」動きや仕草を実現したが、それは結局人間がわからの一方的な見方である.人間にとって都合のいい部分(かわいさなど)を意図的にそう見せようとしているだけで、動物の脳そのものを実現したとは言い難い.もちろん神経や筋肉の実現もまだまだ問題が存在している.現在の技術というより人間の技術大系では不可能なのかもしれない.
やはり人間の脳や体に対する研究がさらに必要なのであろう.特に脳についてはまだまだわからないことも多く、しかもその研究には人道的な問題もつきまとう.しかしロボットを実現するには脳のことを完全に知る必要がある.技術の進歩と人間の尊厳.絶えず天秤に掛けられてきた問題.まずこの問題を解決しなければロボットを生み出すことはかなわない.
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